巡礼魂!
(the sprit of pilgrimage)

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 阿伏兎観音と乳絵馬 〜広島/福山市 磐台寺〜 

2011年7月19日
 通算二度目となる広島巡礼を敢行する。初夏だというのに、唸るような猛暑を浴びながら、三泊四日の強行軍で名刹を巡ることなった。初日は尾道市内にある名刹を巡礼し、その日は福山市の鞆の浦へ泊る。二日目の朝、車で向かうこと数十分、当寺院へ到着する。今回一番拝観したかった寺院で、事前にインターネットで予習した折、崖の上に堂が建てられている画像を見つけ、その厳めしい場所に立地する堂に興味が沸いた。以来とてもお参りしたくなり、やっと念願かない、拝観することとなった。海沿いにあるこの寺院は、900年代に創建され、、古くから「阿伏兎観音」という名称で呼ばれている。私の興味をそそる”崖の上の観音堂”は戦国時代(1570年ごろ)毛利輝元公により建立されている。早速、お寺に入り、本堂の拝観をすませ、観音堂へ向かう。すると、登り口に石段があり、その周りを朱塗りで固めた回廊が上へ上へと細く長く続いている。回廊の窓からさす”日差し”と相まって、まるで『異世界』へワープするような錯覚を覚える。回廊の終点には待望の観音堂があり、観音堂の縁側は足を踏み入れることができた。堂伝いへ進むと、海に向かって開扉している観音堂前で参拝することができた。縁側に立ち、真下を眺めると、急な崖に吸い寄せられそうで、”ひやひやする”気持ちになる。しかし、そのまま目線をあげると、広大で雄大な海が広がっている。参拝した当日の海はとても穏やかで、水面が光できらきらする姿が、まるで「絶景」を通り越し、「神域」という名にふさわしい景色だった。。。その観音堂内で珍奇な情景を垣間見る。それは、観音堂内に女性の乳型をかたどった絵馬が多く奉納されていたのだ。通称「乳絵馬」と呼ばれているもので、縁結びや子授けの祈願として奉納されるらしい。古来、この観音堂は”月見堂”ともいわれ月のパワーを集約する現在の”パワ-スポット”ような神聖な領域で、これにあやかり縁結びや子授け・子育ての観音様として有名になったとのこと。・・・なるほどねエ〜!自然が作り出すこの神秘的な情景は確かに、人々がすがりたくなるような力をもっているようにも受けとめることができるな。。そういえば、古来、海を管理していた神と言えば、スサノヲに象徴される”男神”だとすると、海に向かって向けられた乳絵馬は女性を表しているのだから、海に向かって乳絵馬を奉納することで、男女にまつわる祈願場所になったのかな?。。。。観音堂から大海を眺望すると、例え歴史や文化は進化しても、ここに見る景色から受ける感動・想いは昔も・今も変わらないのだ。

絶景トリミング寺院 〜広島/福山市 福禅寺 〜  
2011年7月19日
 広島巡礼二日目、宿泊していた鞆の浦付近で名刹探しをしていたところ、ホテルの観光案内で偶然近くに位置していた福禅寺という寺院を訪問する。まったく予備知識もなかったため、どんな寺院かも想像できないまま拝観する。本堂で拝観をすませ、隣接する客殿へ入る。そこでは障子で仕切られているであろう窓が開放されて、外観を眺望することができた。その外観は、鞆の浦を中心に横に長く、パノラマのように眺めることができ、まさに絶景!夏本番でとても暑い中、窓から入る風は心地よく、まさに”風光明媚”という言葉は、この畳上がよくあてはまる。後から知ったが、ここは、江戸時代に朝鮮通信使の迎賓館として用いられた場所で、通信使が「日東第一形勝(朝鮮半島より東で一番美しい景勝地)」と称賛されて以降、”対潮楼”と呼ばれているとのこと。今も昔もこの眺望が素晴らしい形で現在まで残り、この客殿から受ける心地よさを数百年前に訪問された異国の通信使と同じ気持ちで共有しているのだ。これはただ単に、寺院だけの努力だけでなされるものではなく、対潮楼からみえる絶景眺望も現在に残っているという偶然が重なった結果である。このすごい確率に感動すら覚える。さらにこの客殿には歴史の舞台となったことがある。日本で最初の海難審判事件である「いろは事件」に関連する。坂本龍馬が所属していた海援隊が伊予大洲藩から借り受けた『いろは丸』と紀州船が備中沖で衝突し、その事件についての賠償交渉を行ったのがこの”対潮楼”とのこと。4日間の滞在で龍馬もこの風光明媚な客殿で、心地の良いゆったりとした景色を味わったのかもしれない・・しかし、賠償交渉する心情を察すると、些か複雑な気持ちで眺めていたのかもしれない。

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