仏議 7
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寺院イメージの原点を知る〜 大阪/天王寺区 一心寺 〜 |
2007年11月2日 |
大阪・四天王寺に程近い一心寺を訪問したときの出来事。山門にある仁王門を見上げて驚いた。鉄とコンクリートでできたその仁王門は、古式なそれとは画一をなす現代芸術作品で、鉄(?)の仁王さんは素手で巡拝者を威嚇していた。門をみると、今から入る場所は近代美術館のような雰囲気を持っていた。平安時代創建のこの寺院にはかつて、大阪城の城門を移築したという立派な山門が存在していたというが、昭和20年の戦災で、山門も含め、堂塔が焼失したという。しかし、どういう経緯でそうなったかは不明だが、通常ズッシリとした木造の山門を再建するところ、この斬新な発想と建造物に私は不可解さより、強い感動を受けました。そう、歴史上仏教が伝来した当時、ほとんどの人々が竪穴式住居に居住していたとき、寺域内にある瓦葺の屋根にそびえる巨大な堂塔を人々が垣間見、皆がその技術・文化へ羨望と憧憬の眼差しを向けていたのではないのでしょうか?私は、かつての寺院が大陸文化を日本へもたらす”配電盤”の役目をしていたのではないかと考えました。今、日本の寺院は、古さ・伝統を堅持していくことの美徳を我々巡礼者に与えておりますが、本来の伝統ある寺院は一心寺のような、最新の文化・技術の創出であったような気がします。その意味では、この歴史深い当寺院にこの仁王門は、本来、我らが持っていた寺院イメージの原点かも知れません。 |
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神仏を振り回す者の正体 〜 愛知/豊川市 妙厳寺 〜 |
2010年3月28日 |
最近、公私に忙しく、なかなかお寺詣りに出向けなかったと自分に言い訳していた昨今でありましたが、先日の日曜日、私が住んでいる滋賀県から少し足を延ばして、愛知県のお寺詣りに向かいました。今回の巡礼先は『豊川稲荷』です。文字だけみると、京都の伏見稲荷のように、『稲荷信仰ってことは。。神社じゃないの?』と思われる方も多いでしょうが、ここは曹洞宗の寺院で、メチャメチャ仏教であります。当寺院はいわゆる平安期から明治期まで存在しておりました『神仏習合』の名残でして、”豊川稲荷様”はここでは”垂迹神(仏の仮の姿)”となり、本地仏の『ダキニ天』でお祀りされております。さっそく山門をくぐるなり、広い境内に大きな石の鳥居と仏様の山門が併行して配置されているのに圧巻し、さらに、山門の奥には、仏様の本堂が、鳥居の奥には、ダキニ天を祀る大本殿があるのに再び驚いてしまいました。今まで、清荒神や赤山禅院といった神仏習合で現在も寺院として存在している例をみてきましたが、とにかくスケールの大きい神仏習合に対する驚嘆です。・・・知ってはいましたが、私の生まれる昔々、『神と仏が同じ聖域に祀られていたこと』『明治期の廃仏毀釈により全国の神仏は切り離されていったこと』。。。今、私が巡礼する寺院は、まさに人為的に切り離した”遺構”をみているのです。けど、この目の前にあるスケールのでかい”神”と”仏”の祀られ方がとても違和感のある私・・人の都合で”神”と”仏”がくっついたり、切り離されたりするというのは、人が神仏を振り回しているのではないか???キツネ様に守られたダキニ様の奥には実は神仏すら振り回す、人間が黒幕のように祀られているのでは〜なんて考えてしまう・・とても余裕のある一日でした。・・・余談ですが、巡礼の後半に寺男より、石鳥居の笠木(鳥居の上部:横に重ねられた部分)の端に”卍”がついていると聞き、確認しましたが、この部分でも神仏習合を強烈に印象付ける遺構だなと感じます。 |
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