巡礼魂!
(the sprit of pilgrimage)

仏議 2


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峻厳なる仏教〜 大阪/泉佐野市 七宝瀧寺 〜
2009年8月17日
  大阪の南、阪和道上之郷インターから、蛇行する細い山道を登る。しばらくすると、犬鳴山七宝瀧寺へ到 着する。ここの御本尊は『日本三大不動尊』のひとつに数えられる”大龍不動”、広く知られている不動明王の容姿とは異なり、上方に向けられた剣を刃先から飲み込もうとする龍を御神体(不動明王)としている。不動明王の尊像がいたるとろに祀られ、さらに奥には行者の修行場が存在し、いまでも行者が修行なされている。行場の奥にある瀧は、上から瀧壺へ鎖が垂れ下がり、これを行者が修行に用いるのだと、容易に理解できる。ここは、われわれ俗人の巡礼を赦していただく傍ら、厳しい修行を行う”行場”が存在している。本堂で参拝後、納経所で僧と話をした。僧は、ここの寺院における仏教とは「自分の力をもって仏性を感得する自力本願」であることを強調された。自力で何かを見出す意味では、禅宗と似ている。禅宗における厳しい修行は”生きている”ことの上に成立しているようにおもえるが、当寺院の修行とは、日常に死を背後に感じながら行っているように思える。そこには、我々が手を合せて、仏を感じることとはまったく別のすさまじい仏教観だと感じる。要するに、慈愛・慈悲深い仏の一面ではなく、もう一つの峻厳な仏教の一面をここに垣間見ることができるのだ。本堂奥の行場の道に登りの石段がある。けもの道のような石段が何もない山奥へと続いている。その入口に「ここからは行者の修行場ですので立入禁止」の看板が見える。その看板を見て、これから入るであろう行者のことを思い、思わず入口に向けて手を合せた。

琵琶湖の水位と寺 〜 滋賀/大津市 聖衆来迎寺 〜
2009年8月16日
お盆だというのに、趣味のお寺詣りに興じる・・・仕方ないんです。実は、このお寺がこの日に行う「虫干し会」に合わせる必要があったのです。普段はお目にかかれないこのお寺の寺宝を拝見できる1年で唯一の機会で、何年も空振りして行けなかったのですが、とうとう今回巡礼することができました。このお寺は、裏比叡(滋賀県大津市)に位置し、最澄や源信という高僧らに縁の深い場所でした。戦国時代に織田信長の比叡山焼き打ちで、周辺の寺院も戦火の餌食になりましたが、信長の家臣・森可成の墓があったため、信長の焼き打ち禁止令が出、戦火を免れました。そのため、寺宝が数多く残っており、かなり見所のある寺院です。さっそく、拝観することにし、本堂へ足を運びました。すると、国宝の「六道絵」(複製)がかけられ、その奥には、本尊の三尊仏と諸仏が安置されていました。その中で一際目についたのが、1メートル前後の地蔵菩薩でした。パンフレットにも掲載されていないながらも、”威厳”と”迫力”は他の仏像を抜きんでていました。しばらくすると、寺院で説明していただく方から、「この地蔵さんは、この寺院が成立する前にこの地に存在していた「地蔵院」の御本尊で最澄御自作です」と聞く。厚みのある霊気はやはり見間違いではないな・・と感じる。その他諸仏様々な仏像を見た後、離れの客殿に入る。この客殿は江戸時代に天海がこの寺院に移築したものだそうで、さらに聞くと、元愛宕山の本尊(地蔵様)も天海僧正がここに安置されたという。。。”天海”と言えば、明智光秀と同一人物とささやかれている人物で、この付近に坂本城址があるところ、歴史浪漫が転がっていますなあ〜。説明された方からおもしろいことを聞いた。本堂の縁側をよく見ると、すべて石なのだ。普通は木組だろうとおもっていると、石組の理由をこう述べられた。「琵琶湖に近いこの寺院では、琵琶湖の水位が上がると、寺院周辺は洪水で水かさが増しました。昔は増した水かさはなかなか下がらないため、周辺の住民は寺院の本堂へ避難し、しばらくは本堂から船を使って、移動(生活)した」とのことでした。なるほど、木組みだと洪水に耐え切れず腐食してしまうので、石にするのか!この地域ならではのお寺の成立ちに大いに関心した。

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