巡礼魂!
(the sprit of pilgrimage)

仏議  12


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 大宰府の馬頭観音 〜福岡/太宰府市 観世音寺〜 
2013年7月3日
 仕事の都合で約10日間九州地方に滞在することとなった。福岡へ着いたとたん、集中豪雨に見舞われ移動するのも一苦労の状態となった。以前から福岡県で一番巡礼したかった寺院がある。大宰府付近にある官寺(国営寺院)だった寺で”観世音寺”と呼ばれている。仏像関連本等でもよく掲載されていて、その中でよく見かける写真が観世音寺に安置されている5bを超える三体の仏像である。巡礼欲が高まり、豪雨という悪天候にもかかわらず、車を走らせ観世音寺に向かう。しかし、付近の駐車場へ到着すると、豪雨だった天候は曇天となる。これも”天啓”と空を見ながら仏様に感謝する。短い参道をまっすぐ直進し、本堂に向かうと本堂前に石灯篭が一基配置されている。配置からすると奈良の東大寺のようにも見え、古刹の面影を少し垣間見る。本堂に手を合わせ、右横をてくてく歩き、宝物殿へ向かう。宝物は2階にあるため、入り口から階段をあがると、そこには、木造の仏像群が安置されていた。大きさは大小様々で平安時代からの古い仏像が所せましと並んでいる・・そのかなで一際目立っているのが、宝物殿の中央に安置されている5b級の仏像三体であった。両脇の仏像は十一面観音様・不空羂索観音様で中央に配置されていたのは馬頭観音様だった。馬頭観音様は仏様の頭上に馬の頭があり、馬にちなんで交通安全などの仏様として御利益がある。かつて福井県の小浜地方で巡礼した際にも馬頭観音様をお祀りしている寺院が多かったのを思い出す。小浜もかつては大和政権と朝鮮半島を結ぶ玄関口で大陸文化が最初に日本国に触れる場所でもあった。ゆえに小浜は別名『海の奈良』といわれるほど、秀逸な古仏が存在している。ここ福岡・太宰府においても小浜同様、大陸との玄関口となっていて、そこに遣唐使などの海路の無事安全を祈念した馬頭観音が安置されているのだと推測される。ただ、小浜と大宰府との違いは、大宰府は府庁を設置した公式な外交の玄関口として大陸からの来訪者を接待したところだということ。それは、文化による国と国との威厳・威信もあって、それゆえ、大宰府に隣接する観世音寺という官寺に、来賓者が驚くほど大きな仏像を安置したのだろうか・・・国家の威信と威厳を背負い、海路を行き来する者の交通安全と・・・馬頭観音様のお役目の大変さに脱帽してしまう。

鹿児島に残る”偉大なる連携プレ”ー 〜鹿児島/出水市 感応寺 〜  
2013年7月7日
 様々な地域を巡礼し、名刹寺院の本堂で歴史ある仏様を拝するとき、数百年前から存在する仏様を
眼前で巡拝できるのは、その時代時代で様々な困難を乗り越えて仏様を守ってきた人々の”思い”と”努
力”の結晶だと感じることがある。それを私は”偉大なる連携プレー”と自分で称している。ここにその”偉大
なる連携プレー”が結実したお寺があった。その寺院は鹿児島県に存在する。鹿児島と言えば・・・かつて
明治時代の初頭、『廃仏毀釈』という政策が政府でとられた。古く日本は神様と仏様を同じものとして    
拝していたが、この廃仏毀釈により、仏様や仏教を排除する動きが全国で生じた。この政策は結果的に約
7年間続くのだが、その間に破却された仏像が多くあったと聞き及んでいる。この鹿児島の地では廃仏 毀
釈運動が盛んな土地であった。そのため、明治期以前に存在している寺院は皆無な状態である。私は、
鹿児島県出水市野田にある『感応寺』を巡礼する機縁を得ることとなった。かつて、この”野田”という地
は、鎌倉時代に島津公が最初に薩摩国へ入府した土地でもある。ゆえに島津発生の地にある感応寺も

菩提寺として大きな意味をなしていた。廃仏運動で、徹底的な仏教破壊が起こる中、住職は本尊の千手観音様を大きな甕に隠し、破却を
まぬがれたという。言葉では単純で簡単なものだが、寺院と住民とのつながりが特に深かった時代、当然近隣の集落でも仏像を隠した話を聞き
及ぶ者もいたはず・・・・。その一人一人が仏像をまもろうと、必死に隠した結果、千手観音様は今ここにお寺の本堂の中央に鎮座しておられる
のだ。感応寺の仁王門そばに神社が建てられている。鹿児島の地では廃仏毀釈で破却された寺院の跡地に神社が建てられたという。たしかに
感応寺にも例外なく社が建てられ、現在もその遺構が存在しているが、その社はこじんまりと小さい。しかも鹿児島にある他寺院のように、破却
された寺域内に社は建てられなかった。廃仏毀釈が終焉し、旧本堂跡地に新築された本堂に千手様を祀る。そして、新本堂から仁王門へ
目線を向けると、そこには明治期に建てられた神社の拝殿所があったのだ・・・。野田の集落の人々は、廃仏運動の最中でも、社を通じて
千手様へ手を合わせる信仰を捨てなかったのだ・・今、私はその千手様の前に立ち、手を合わせていることが、連綿と続く奇跡と信仰の結晶
なのだと感じるのであった。

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